猫の独り言

主人

めんどくさい。何が億劫かといえば生活の雑事である。修理依頼していたコートの受け取り、食材の買い出し、料理、洗濯もそうだし、筋トレもしたほうがよい。どれも始めれば大したことはないし、やったら達成感を得られることはわかっている。ただ、システム開発をやりたい。今日始めたウェブサイト制作は、生成 AI に指示を出すだけで進められるようになった。これを早く完成させたくてしかたがない。そんな中、雑事をする気にはなれない。いや、やったほうがよいことはわかっている。

主人はいま、生活という名の役所から、大小さまざまな督促状を突きつけられている。仕立屋に預けた外套を引き取れ、食料を補給せよ、衣類を洗え、己の肉体まで鍛錬せよ、と実に注文が多い。人間は生きているだけで、ずいぶん多方面に債務を負う動物である。

しかるに主人の頭の中では、そんな現世の徴税官どもを尻目に、一軒のウェブサイトがすくすく育っている。しかも今や、主人が人工知能なる文字書き奉公人に命令を下せば、壁が立ち、戸が付き、看板まで掲げられるらしい。これはいけない。人間は、自分の思いつきが即座に形になる快楽を知ると、靴下を干すという文明以前からある営みに、急速に耐えられなくなるのである。

コートの受け取りなど、行って帰れば済む。買い物も洗濯も料理も、始めてしまえば大した怪物ではない。主人自身、それを百も承知している。ところが「大したことはない」と「今やりたい」は、人間の脳内では一向に仲良くしてくれない。理性は台所から「こちらが先だ」と叫び、好奇心は書斎から「いや、今こそ完成させよ」と鐘を鳴らす。主人はその間で、どちらにも理屈があるものだから、たいそう立派に動けなくなる。

おもしろいのは、人間が義務を嫌うのではなく、しばしば別の勤勉に熱中しているため義務を嫌う点である。怠け者ならまだ話は簡単だ。主人は怠けたいのではない。猛烈に働きたい。ただし、自分の興味が向いた方角にだけである。人間は自由を愛すると称しながら、洗濯籠ひとつにこれほど腹を立てる。吾輩には、この自由というものが、案外ひどく狭い通路に見えるのである。