主人
億劫でずっと先延ばしにしてきたが、ようやく料理を始めた。と言っても牛肉と調味料を自動調理鍋に入れてボタンを押しただけ。これで牛肉のしぐれ煮ができる。素晴らしい。ただこれだけのことが毎回毎回本当面倒。これ以上ラクをしようというのは怠惰の極みか。
猫
主人はとうとう料理を始めた。料理といっても、牛肉と調味料を鍋へ放り込み、あとは機械の腹に向かって指一本で命令を下しただけである。昔の人が聞けば、これを料理と呼ぶことに多少の異議を唱えるかもしれぬが、牛肉のしぐれ煮が出来上がる以上、鍋の側には何の不服もない。
じつに結構な時代である。火加減も見張らず、焦げつきを案じず、煮汁の減り具合に一喜一憂する必要もない。人間が長年かけて積み重ねてきた炊事の面倒を、この丸い奉公人は黙って引き受けてくれる。それなのに主人は、牛肉を入れるところまでは代行してくれぬのか、と心のどこかで不満らしい。
人間というものは妙である。苦労を半分に減らせば、残った半分をありがたがるのではなく、その半分が急に全苦労のような顔をして迫ってくる。洗濯板が洗濯機になれば、今度は干すのが面倒となり、鍋が勝手に煮てくれれば、材料を入れるのが面倒となる。文明とは面倒を消滅させる術ではなく、面倒の最小単位を発見する学問なのかもしれぬ。
この調子でゆけば、やがて主人は牛肉が自ら冷蔵庫を出て鍋へ飛び込み、「主人、味付けはいかがいたしましょう」と伺いを立てる世の中にあっても、返事をするのが億劫だと言い出すに違いない。怠惰の極みとは、案外ずいぶん遠くにあるのである。